【元自が語る、自衛隊の経験】私という者(自己紹介的な)

2023年6月21日水曜日


こんにちはレコンです。最近紹介記事を多めに書いていたのですが今回は趣旨を変え日記的な思い出的な自己紹介的な、プラス半分自衛隊の思い出を書き残していきます。

タイトルに釣られ「自衛隊のことについて大半占められてる記事なのかな」と開かれたと察しますが、そう僕は元自衛官!元自なのは変わりない事実ですが、ごめんなさい自分の自己紹介をつらつらと書いています。!自衛隊の体験談は後述で書いていますので下にスクロールおなしゃす!

誰が見ているのかどこに需要があるのかわかりませんが私という人物を知ってもらう為に自己紹介も含めこの記事を当ブログに残しておきます。

一般的に日記記事というのはSEOとして好ましくないと言われています。

ねこくん

でも本当の自己紹介的なことってウミョラサくん発信してないよね

ウミョラサ

そうなんです、プロフィール欄には簡単な自己紹介を記してはいますが、私という人物を具体的に紹介したくなったので今回の主題として取り上げたくなりました。

それにインフルエンサーはよく包み隠さず赤裸々に自分の過去から現在の自己紹介を語っていますよね。全員が全員自己紹介をしているわけではないですが少なくとも僕の知っている有名になった人は紹介しています。

それに見てくれた人が親近感も湧くのと同時に自己紹介をすることによりSEOも上がると言われています。

ねこくん

発信している人は固定ファンがついてる人もいるよね。



僕が大ファンであるあのラッパーで有名なEminemも自分の歌(詩)で自分の生い立ち、過去の体験談を自己紹介して有名になっています。ラップスキルがすごいこともありますがEminemという人物を知ることにより共感を得ています。

人間って不思議と一番興味あるのはその発信している人物とは何者なのか?どうゆう人物なのかが一番気になるんですよねー。

僕もそうで興味を持った有名人はその人の人物を知りたくてWikipediaなんかで調べちゃいます。

そうは言っても恥ずかしいから自分を知ってもらいたくないし顔や声を晒したくないと思っていませんか?多分これを今まさに見てくれているそこのあなた達!大体当てはまっていますよね。

最初は僕もそうでした。でも考えてみてください。これを見てくれている人ってレッドーオーシャンの数あるブログ記事の中に埋もれてる中からタイミングよく見つけた感じだと思います。YouTubeもそう、まさにお宝探しと同じでだいたい有名にはなれませんし、誰もあなたを見ていません(見つけられません)。炎上商法や大事件を起こさない限り興味を持たれ有名になる人なんてごく僅か。

特徴もなく差別化もできないコンテンツを普通に発信してれば大体スルーされ見向きもされないので安心してください。

それに人間いずれ死ぬんだしどうせならこの時代に生きた証を公に残したくありませんか?(犯罪で残したくはありませんが)

この世からおさらばしたら恥ずかしいという概念すら無くなってしまいますし恥ずかしくなる大元の身体とはおさらばしてしまいますし。と僕は考えちゃいます(見られてめっちゃマイナス要因になる証は残したくありませんがw)。

もちろん別に自分を曝け出さなくても有名になっている人も数多くいますが、僕は過去の撮った動画や自分の思いをぶつけた日記記事を見返すことにより「ああ、当時の俺ってこんな顔してたんだ。」とか「昔の俺ってそう言えばこんな生い立ちだったな」と忘れた頃に立ち直れるというか思い出補正になりますよね。

発信したコンテンツ自体自分のアルバムにもなるし自分の財産にもなる、うまくいけばそのバズった歌なり動画なり記事なり見られ聴かれ有名になる。それが自動で稼ぐ本当のリアル財産にもなるので個人的に隠している人ってもったいなと思ってしまいます。

その人の人となりを知るって大事なんですよね

なので積極的に顔出しや最近だと音声配信もしています。

でも僕がそう思っているだけで人それぞれ好きにすればいいと思います。無理して頑張って自分を大っぴらにしなくてもいいのです。それでストレス溜まってしまえば体に不調をきたしますし。

前置きは長くなりましたが僕の生い立ちの過去〜現在までを記述し「私」とはどうゆう人物なのかを紹介。ここまで読んで興味もないし知りたくも無ければ貴重な時間が勿体ないので適当にブラバしてください。

「こんな記事を書いちゃうんだからこいつ凄まじい人生送ってるんだろうなー」と思ってる方は期待しないでくださいね。と期待値を下げたところで始めていきましょう。

生まれは東京都多摩市、幼児の頃少しだけ多摩市に住んでいて小学生になる前に八王子に引っ越し。幼少期はほぼ八王子育ち。順風満帆でも波瀾万丈な人生でも無いごく普通な人生でした。

幼児期は大人しいくいじめの対象となってしまい悪ガキにいじめられていました。笑顔を絶やさない子だったと記憶しています。

小学生低学年の頃も学童でいじめられ連絡帳にいじめられていることを書いたら先生が親に報告していじめっ子の親にも報告されたっぽくて何故かいじめっ子たちと友達になりそこからいじめがぴたりと無くなったのでラッキーでした(世の中何があるのかわからんなー)。

低学年の頃は学校が面白く、放課後もよく友達と遊び回っていて活発な子でした。今でも振り返るとまじで低学年の頃が人生の中で一番楽しかった、あの頃が僕の一番の全盛期であり絶頂期だったと思います。はや!

それもそのはず彼女いない歴年齢の僕があの頃だけ女子友達が数人いましたからね。おそらく後にも先にもこの頃だけでしょう。

この頃に流行ったトイザらスのCM「ずっと子供でいた〜い♪」という歌がZ世代の流行語を借りると当時の僕は「まさにそれな」と言っていたでしょう。言い得て妙で今でも頭から離れません。

高学年まで落ち着きない子でして授業中に立ち上がって他の生徒にちょっかいかけるわ騒ぐわどうしようもない手をつけられない問題児でした。先生や親は相当手を焼いていたでしょう。

僕が同じ立場であればこんなのと関わり合いたくないので担当してくれた尊敬の念を抱くし保護者には感謝しかありません(まじで当時の世話をしてくれた人に同情します)。

今思えばADHDの傾向でしたが当時の精神系の病気は今ほど理解が進んでなく解明されてもいませんでした。だって精神科通院=「え?ハンニバルみたいにベッドに縛られ束縛されるの?やばー君」っていう精神病に日の目がない時代でしたから。

あまりにも落ち着きがないので病院で脳波を測らされたり、心理カウンセリングも受けていましたが。

高学年になるにつれ落ち着きを取り戻し逆に落ち着きすぎてしまいました。

中学に進学すると陰キャっぷりもより一層磨かれ、活発さもなくなりはじめ中3になる頃には再びいじめられます。

いじめもガンガンいじめる感じではなく陰口や悪口、省かれるなど日常茶飯事。などネチネチしたいじめに変わり先生が気づかないことも。学童の元いじめっ子で今まで一番仲良くなっていたM君が手のひらを返すよう再び僕をいじめの的にしたのは完全裏切られたと流石にショックでした。(まあ癖の強い子だったので僕の性格も仇となっていたのは言うまでもないが)

その頃から少しずつ人間不信や対人恐怖症といった精神的に応える症状が出てきたのもそれが原因かもしれません。(今は少し落ち着きましたが)

しかし不登校にはならずに1日も休まず通学していたのは奇跡、親にも虐められてるのがバレたくないので話していませんでした。

やっと苦痛の中学が終わり高校進学。高校に進学するも中学のイジメの余韻が残っていたのか口数も少ない高校生でしたが、高2からだいぶ回復していきました。

しかし相変わらず集団生活に馴染めなかったので友達は全然できませんでした。クラスでワイワイやってる中、一言も喋らず、休み時間も1人でいることが多い。

文化祭の共同行事でも一人だけ顔を出さずリハも出席しないのでクラスからも反感を買っていたのは間違いない。そしてある日半年不登校になったが帰って来た時はもう既に「お前いたの?」空気感が半端なく完全居場所は無くなっていました。

そこから省かれたり、グループで一緒になる生徒から露骨に嫌がられたり(まあ完全自分も悪いんですけどね)。

次第にクラスの同級生からも煙たがられました。

そんなこんなで留年なく3年間なんとかやり通し苦痛の高校も卒業。大学に進学する生徒が当たり前な中僕は自衛隊に入隊が決まっていました。

大学は東海短期代が受かってたような気もしましたが定かではないし成績は悪かったので名のある大学は落ちていたでしょうね。

恐らくこれを見ている人で学生さんはいないと思いますがもう僕を反面教師にしてください。

でも言い訳がましく聞こえるけど詰め込み式に強制でやらされる勉強ってまじで苦痛で不思議とやりたくなくなるんですよね….。

学生時代みなさんも親や先生から「勉強!勉強!」言われ続けてきたと思いますが僕はそうゆうことを言われる度に変な対抗心を燃やしていました。

今思えば完全僕に問題がありロクでもなく手もつけられないどうしようもない生徒でした(そうは言っても親や先生には申し訳なく思っているのである)。

今も変な反抗心とやらがあるので癖強いです。

今大人の学び直しとして数学や社会をやってみたら誰からも強制されない自発的にやる勉強って案外楽しいんですよね、流石に問題集をやるほどではないですが。

ただ僕もタイムマシンがあれば小学校低学年から人生リセットしたいですw過去のオートセーブがあれば便利なんだけどなー、(そんなことがたとえ実現しても過去の自分はくせつよなんで反省してなさそうですが)

「ここからは自衛隊編ですよ〜」

とタイトルの伏線回収をやっとしたところで話していきましょう。自衛隊入隊してからもいじられキャラとして半分僕からしたらいじめに近い状況でした。(なんかこんなことばっか書いてたら「被害者ヅラするな!」と思われていそうだが)

しかし高校の頃より同期とは仲良く余暇は楽しかったんですよ〜。

自衛隊って聞くとイジメがヤバそう、ブラック、自由時間無さそうというのが第一印象だと思います。でも教育隊を卒業すると自由時間はめっちゃあり案外自由、いじめも僕はそこまで酷いのはなかったですが元野球部の同期にいじられちょっかいを出されたくらい。

いじりも捉え方が人それぞれですが本人が嫌がり度がすぎると嫌がらせといういじめに変わります。

自衛隊は海外ではミリタリーと正式に英訳された日本の正規軍という位置付けですが国内だけが曖昧な立ち位置となっているのでそこら辺がややこしい。

軍隊なのでブラックと言われればブラックです。これは体育会系だから、とかそうゆう括りにさているのですが僕的に軍隊は例外的にやるかやられるかの世界なので必然的にブラックになりがち。そこはしょうがないと言えばしょうがない職業なのかもしれません。

恐らくどこの軍隊もそうでしょう。

自衛隊は入隊すると全国から3ヶ月基礎知識を叩き込まれる前期教育隊に配属され、後3ヶ月専門職種の基礎知識を学ぶ後期教育隊に配属されます。

僕は前期を武山駐屯地、後期は大宮に配属されました。

入隊し3ヶ月の前期教育期間中、世渡り上手な同期のK君という友人がいて連休の期間中は特別外出許可で帰省できるんですね〜。

K君は家に帰るより官舎にいた方が仲間がいるし楽しいと自衛官ライフをモロ満喫していました。上官にも慕われ、同期からも人気者。

もちろん今でも班長をやったりと自衛官として活躍しています。そんな人は衣食住タダな自衛隊は天職ではないでしょうか。ブラックと捉える隊員もいれば社会人を経験し自衛隊に入隊した人が「ぬるま湯に浸かれる職業」と言っていた隊員もいます。

前期教育期間中の新隊員は何故か制服着用で外出しなきゃならないのでめちゃくちゃ恥ずかしかったです。特に海自はもろセーラー服着用で水兵さんw

たまに駅とかで見かけませんか?横須賀では軍港で栄え米軍基地もあり米兵や自衛官が制服着用している姿を日常的に見られます。

最初の入隊して3カ月の間に全隊員問答無用で献血に協力させられます。

流石に健康面は配慮されると思いますが自衛官になるには体力検査や病状等も審査され一定の合格基準が設けられているので、それなりの屈強な若者達が集まります。

僕の小隊では全員受けました。隠れたところで自衛官の方々は医療にも貢献しています!

教育隊は確か1班10人として1小隊5班、それが2個中隊あったと記憶しています。とすると100人が毎年献血カーで献血しているんですね〜。しかも他の駐屯地でも教育隊はあります。これで命が助かった人が何人いるか。貢献しまくりです!(日々感謝、ありがとう自衛隊)。

僕も前期は比較的楽しかった記憶はありますが後期からは地獄のしごきが待っていました。早くも教官から目をつけられ顔パンされるは、腕立てなどのお仕置きが待っていました。

そう失敗したら連帯責任という「反省」と呼ばれるシゴキが待っているんですね〜。「その場で腕立て伏せの姿勢をとれ!」という号令で腕立てや鏡跳躍やら教官がいいと言うまでやらされる伝統行事です。

中には営内が荒らされる「台風」という業界用語のイタズラもあったり

体罰の黙認が当たり前のような世界。

しかしパワハラと履き違えないでほしいと思います!そうこれが軍事組織、兵隊を育成する軍隊なのです!

宣誓書を入隊式時書かされたと同時に今まで優しかった助教が豹変し鬼に変わります。これは米軍でもそうなんじゃないかな(新兵育成ブートキャンプ動画を見た感じ)

今はエスカレートするとパワハラと訴えられますが当時これが当たり前(今はどうなってるのか知りません)。

シゴキは僕だけではなく他の同期も同じで、それに耐えられなく外出後帰ってこない所謂脱走する同期もいたり後輩の仲間が自殺したりと別名大宮刑務所なんて呼ばれたりも。

でもこれはいたしかないのかなと、上官も心を鬼にし愛の鞭として厳しく接しないといけないんです。事実卒業する頃に「本当は辛かった」と白状され泣きそうになりました。

だって甘々に優しく接していたらこの先命に関わる厳しい訓練がいくつも待っているのでついていけなくなるでしょう。だからあえて教官も内心苦しいけど厳しくしないといけない。

教育隊卒業間際には教官同期と宴で絆を深め激励されて創業と同時に本隊に配属。

ここから僕が配属された部隊の思い出に移ります。

配属先の練馬駐屯地という場所に短期間いました。教育隊よりも割と自由なんでそのギャップに驚き「駐屯地内コンビニまで普通に駐屯地歩ける!後輩から敬礼される!」と優越感に浸れたのも束の間またも地獄は待っています。

課業中よく体力向上のためランニングをやるのですがそれがハード。僕はスタミナがあまりないためすぐ息切れしてしまうので班長たちの罵声が飛び交っていました。

仕事中も何かあると怒声が飛び交い新隊員たちは怯えて仕事をこなさなければなりません。

そんな中炊事班の依頼が舞い込み僕が選ばれました。炊事班は駐屯地内の隊員たちの飯を調理するのですがめちゃくちゃ居心地が良く職場の人間たちも優しい人ばかりで「3カ月後原隊復帰が無ければ良いのに」とこの職場ずっといたかったのですがそんな話しは到底叶わない話。

3カ月後再び元の部隊へ。

だいぶ部隊に慣れ先輩達とも風俗やナンパに行くほどの仲になったころ転属の依頼が来て「レコンは希望あるか?」と聞かれたので「どちらでも良いです」と答えた。

そして僕が選ばれることに。まあこの部隊で1番問題がある僕が選ばれるのも必然ではないでしょうか。ちなみにその前に僕の同期が強制転属されてます。

部隊長に転属面談後、報告。特に未練もないので軽くさいならーしてたら先輩に「随分軽い別れの挨拶だなと笑われましたw」

転属先は後期教育隊と同じ大宮駐屯地という真夏が暑いエリアに配属

転属前から問題がある子とうわさされていたらしいw

練馬よりもきつい部隊であったがいい先輩も多く恵まれていた方ではあったと思います。

まあでもブラックと言われるのもわかります。警衛という門番勤務は24時間駐屯地の警備に着くのだが夜勤手当や残業代が一切ない。

課業は平日8:00-17:00勤務ですが階級低い隊員は朝礼の準備で30分前には職場に来ないといけない、土日でも陸曹教育隊の候補生(階級昇進試験)の試験にを手伝うためたまに空いてればかりだされる。もちろん手当はなし。

そうサビ残が当たり前に通用されるのです!

それが一番嫌でしたね。

経験した中で一番気に食わなかったのはみんなが椅子に座ってるから僕も疲れてたので座っていたら「お前みたいなやつは座るな!お前と同じ階級のS(同階級の先輩)が座っても許されるのはちゃんと成果だしてるからだ!」と理不尽すぎる注意をされたときはさすがにこたえました。

もう職場に行って訓練後疲れても座れない、軽いノリで話すこともできない。何もできないというより存在価値がなかったと言えばいいでしょうか。顔が不貞腐れてるという理由で胸ぐらつかまれ、顔面パンチも繰り出される世界。

その時初めて何かがはじけたかのようにプツンと僕の中で何かが切れたような感じがしました。

定期健康診断でもうつと診断され、後期教育からそうだったのですがあまり笑わないのでポーカーフェイスと上官から皮肉られより一層メンタル的に病む拍車がかかりましたね。

本格的に除隊を上官に告げひたすら目を付けられず目立たないようにしていました。

上官が幹部に怒られたとき、気分を害した先輩のストレスのはけ口は僕でして、仕事中訳も分からずものすごい剣幕で怒鳴り当たり散らされました。けど君子危うきに近寄らず。なるべく危ない先輩、仕事はスルー。

不満があっても口にも出さない(出すと後で呼び出しかかり暴力)、職場で休憩中何もできず立ってるしかないのでトイレにこもり時間になるまで座りながら休憩(便所飯はさすがになかったです)。ひたすら除隊まで空気に徹していました。

今の時代だったらパワハラで訴訟もできるいい時代になりましたが昔は暴力が当たり前の時代でした。

当時の僕も殴られ脅されていた時に「録画録音しとけば訴えられたな」と考えていましたが、スマホなんかなかったし今のようにパワハラを立証できる証拠を手に入れる機器も中々ありませんでした。

さすがに今は改善して女子隊員もいるらしいのでゆるくはなっているでしょう。

僕は世渡り下手すぎるんですよね、立ち回りうまい人を見ると素直にうらやましく思えます。

長年勤めてる先輩の経歴を聞けば昔ヤンチャしていた人ばかり、ゴリゴリの体育会系の職場でした。

そうゆう人が合う職場なんでしょうね。

でも中にはやりがいのある仕事もあり、サミット警備や対テロ対策訓練なんかに参加したときは国防に従事してる使命感は感じられました。

災害派遣も経験したかったのですが僕の従事していた期間はなかったです。僕が辞めた翌年東日本大震災が発生し僕がいた部隊が派遣されたので、後1年在籍したら災害派遣の経験はしていたでしょう。

先ほど警衛の話をしましたが夜間駐屯地を一周回る歩哨警備時、唯一監視の目はなく一人で誰もいない薄暗い駐屯地を回れるからその時はウキウキでしたw

星空を眺め解放感に浸っていた思い出があります。

悪いことばっか話してましたがこのようにいいこともあります。衣食住タダなので貯金は貯まるし3食の食事も余ればおかわりできました。

ボーナスが年2回も出るし額も驚愕するほどもらえ「さすが公務員!」とこの職の優位性を改めて感じさせれましたね!

対テロ対策訓練時に率先して後輩に指示だしや訓練の成果が実り速く取り掛かることができるようになった時は評価され嬉しかったですし達成感もありました。

射撃訓練では全弾的に的中とはいきませんでしたがいいところまで行ったときは「お!これスナイパー育成教育隊いけるんじゃないか?」と射撃が楽しくなったのも進歩を感じられました。

色々と愚痴っちゃいましたが総論として、高校卒業後大学に進学するよりも自衛隊に入隊してよかったと今でも心の底から思っています。早いうちに社会の厳しさや、やりがいを経験できたし給料をもらえたので貯蓄もたまりました。

自分の仕事での失敗談を通じ、僕の何がだめだったのか何がいけないのかを俯瞰的客観的に見つめなおせたこと。またビジネスマナーも早くから学ぶことができ、仕事をするという意識も早くから芽生えれたのはよかったです!

一番人生の糧になったのは上記の経験をしたことによりメンタルの耐久性がつき学生気分を早くから抜け出せていたことでしょうか。

この経験をしたことにより今でも仕事をしていて少しの不安があっても動じずうまく対処できるスキルを身に着けたことがでかい!この経験があったおかげで今でも活かせてます。

早いうちから苦労はしとくものってあながち間違ってないですね。

現役時代と今の比較として、当時は自分を無理して馬車馬のように働かせていました。

徹夜してでも上司の顔色を伺い仕事(任務)をこなす。当時は徹夜は美徳、頑張ってる証と考え「バリバリ残業!バリバリタスクをこなし評価を上げてやる!」と体が警告を出しているのも気づかずがむしゃらに働いていました。

もちろん職業の性質上警衛など徹夜でやらなければいけない任務もありましたが、夜遅くまで勉強もしていたり、やらんでもいい仕事も引き受けていました。それは上司に認めてもらいたいがため。

そして結果的に燃え尽き症候群になるばかりか鬱という精神が病む病気につながり退職を余儀なくされました。

今は昔と比べると大分省エネです。

自分が発した警告にはなるべく抗わずに生きているのでハッピーに感じます。

当時の写真を見ると笑わない(笑えない)死んだ魚のような眼をしていましたが今ではちゃんと笑えますし、以前は何かあるとすぐ癇癪を起す怒りっぽい性格でしたがメンタルコントロールもできるようになり心の余裕も生まれました。

何気ない日々の生活を送れることに感謝もできるようになっています。だって考えてみれば私たち日本人はものすっごい平和で治安がいい国に生まれてるんですよ!

親ガチャという言葉が昨今流行していますが紛争も内戦もない清潔で衛生的、民度も高い日本というガチャを引いただけでもSランクだと喜ぶべきでしょうね。なので私たち日本人は何気ない日々を送れるだけで幸せ者なのです。

とポエムっぽく書いてしまいましたがほんと今まで自衛隊退職してからも通信大学の放送大学という大学を卒業し接客業や体力仕事、いろんな仕事をやってきました。

近いうち基本情報などの国家資格取得後予備自衛官の技能コースで予備自衛官として再び入隊を前向きに検討しています。技能だと3等陸曹という僕が退職したときの階級の一個上の3等陸曹という階級に着くことができ、3等陸曹から自衛隊の正社員と呼ばれています。いわば責任ある仕事をやれる階級なんですよ。

現職自衛官の正規ルートだと各部隊から試験に合格後陸曹教育隊を得て陸曹になれますが難しいんですよね。

中にはこの試験に長年受からなく万年士長と揶揄ってる人もいます。あ、ちなみに一個下の階級が僕が退職したときの階級と同じ陸士長です。旧日本軍では上等兵と言われていた地位。

自衛隊は国内では軍隊ではないので憲法で守られた世界一安全な軍隊ではないけど軍隊ではないでしょうか(矛盾してる)。

そうゆう意味で若い人で金銭的に余裕がない人は衣食住を国から保証してもらえるので人気が現在落ちてしまっている「自衛隊入隊」という選択肢をもってもいいとおもいます。

現に僕の同期も奨学金を働きながら返してました。それに警備や災害派遣で国に従事する仕事をしているとやりがいはきっと感じられるはずです!

自衛官に定年でなれなければ先ほども言った予備自とい制度があり本業の会社に働きながら自衛官補にもなれ給料も勿論支給されます!いずれ僕も挑戦しようと思っているのです!

いずれにせよ将来もなにをするのかわかりません!

ただ言えることはこの諸行無常の世の中、我々日本人は治安がいい国に生まれ一定のステータスを保てるのがラッキー!&無理しないで自分自身の体が発する声には耳を傾けよう!

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ウミョラサ

スローライフで自由奔放生活中の省エネ低労働者の三十路。ライフハック/ブログ投稿したくなったら適当に適当なタイミングと適当なノリであげています。/日記/現在/適応障害/たまーにyoutubeで投稿(この垢は中の人)他SNSも手広くやってます。目標はプチ仙人。

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30osdiary : 【元自が語る、自衛隊の経験】私という者(自己紹介的な)
【元自が語る、自衛隊の経験】私という者(自己紹介的な)
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